大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2832号 判決 1975年12月09日

控訴人

沈静夫

右訴訟代理人

日笠博雄

他一名

被控訴人

河宝玉

外九名

右被控訴人ら訴訟代理人

木村浜雄

他三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の陳述は、次に記載するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の陳述)

一、本訴は固有の必要的共同訴訟として提起されたものであるから、被控訴人らの当事者適格の有無は、裁判所の職権によつて明確にさるべきものである。従つて、「被控訴人ら以外に当事者たるべき者が存在するというなら、控訴人においてこれを主張、立証してはじめて訴の不適法を主張することができる、」とする原判決の判断は、誤りである。

二、中華民国民法上の任意認知は、同国の戸籍登記簿に認知の登記がなされなければ、その効力を生じないのである。即ち、

1、中華民国民法は、認知について、次のとおり規定している。

中華民国民法第一〇六五条第一項(訳文)

「婚生でない子であつて、その生父が認知したものは、これを婚生の子と看做す。生父が撫育したときは、これを認知したものと看做す。」

同法第一〇六七条(訳文)

「左に掲げる場合の一があるときは、婚生でない子の生母、またはその法定代理人は、その生父の認知を請求することができる。

一、受胎期間に生父と生母が同居をした事実があるとき。

二、生父の作成した文書によつて、そのものが生父であることを証明することができるとき。

三、生母が、生父により強姦されたとき、または、勧誘されて姦淫したとき。

四、生母が生父の権勢の濫用により、これを姦淫したとき。

前項の請求権は、子の出生後五年間行使しないことによつて消滅する。」

ところで、中華民国民法上は、任意認知の方式についての規定はない。だからといつて、認知は、生父に父子関係の存在を承認する意思が認められれば足りるとの解釈が成立するものではない。このことは、生父の作成した文書によつて、そのものが生父であることを証明することができる時でさえ、認知の訴を提起しうるにとどまる(しかも子の出生後五年で認知請求権は消滅する)ことからも明らかである(前記条文参照)。

2 しかして中華民国戸籍法および同法施行細則は、任意認知につき、次のとおり規定している。

中華民国戸籍法第二一条(訳文)

「婚生でない子を認知する者は、認知の登記をなすべし。」

同法第四一条(訳文)

「認知の登記は、認知をなす者をもつて申請義務者となし、遺言によつて認知をなす者は、遺言執行人をもつて申請義務者となす。」

同法施行細則第二二条(訳文)

「戸籍登記申請書には、戸籍法第三六条の規定による記載とともに登記の種類によつて左記各号の事項を記載すべし。」(一、二省略)

三、認知の登記は、被認知子女の姓名、出生年月日、出生地、その母および認知者の姓名、本籍および職業。

(以下略)」

以上のとおり、任意認知の方式については、中華民国民法自体には規定はないが、同国戸籍法には明文の規定があるのであつて、任意認知は、その方式に則つてなされなければ効力を生じないと考えるのが相当である。しかるに本件各認知は、いずれもその方式を欠くから無効である。

三、被控訴人らの主張によれば、被控訴人河宝玉を除くその余の被控訴人らは、河木丘の子として同人を相続したというにある。

しかし、右主張は以下にのべるとおり失当である。

(一)  河仙子および山田甲子こと河甲子の出生届受理証明書には、いずれも「届出人河木丘」「父亡河木丘、母ミチ子(妻の名でなく、しかも虚名である)」と記載され、「続柄」についての記載はない。

ところでわが民法旧規定に対応する旧戸籍法八三条前段は、「父カ庶子出生ノ届出ヲ為シタルトキハ其届出ハ認知届出ノ効カヲ有ス」と規定し、非嫡出子の母が私生子出生届をしなくても、その父が認知しようとするときは、認知届に代えて庶子出生の届出をすることで、出生届と認知届の両目的を達する方式を許していたわけである。しかし現在(現行戸籍法施行の昭和二三年一月一日以降)では庶子出生届は認められないので、父が同居者の資格に基づいて非嫡出子出生の届出をすることは可能でも、かかる届出に父の認知届出の効力は認められない。

しかして前記の受理証明書によつて証明される出生届は、昭和二三年一月一日以後のものであるから、庶子出生届としてのものであれば不適法で不受理を免れない(かりに受理されても戸籍法に定める届出でないからその効力を生じない)。従つて右出生届は単なる出生届として受理されたというほかない。

このような次第であるから、右両名についてわが民法による認知は成立しない。なお河甲子は昭和四六年六月二一日に日本の戸籍に登載され(したがつて同日以降は山田甲子と称する)そしてその戸籍に「父亡河木丘」の記載がされているが、右記載は前記出生届の記載をそのまま追完したにとどまり、認知のないかぎり効力を有するものではない。認知があると、右戸籍の記載は、真実に合致する限度で瑕疵のない完全な効力を有するものとなるにすぎない。

なお右両名については、中華民国民法による認知はなされていない。

(二)  次に河丙子こと山田丙子の出生届受理証明書には「父河木丘、母河宝玉、続柄四女」と記載され、河丁雄こと山田丁雄のそれには「父河木丘、母河宝玉、続柄二男」と、河一郎こと小川一郎のそれには「父河木丘、母河宝玉、続柄三男」と、河二郎こと小川二郎のそれには、「父河木丘、母河宝玉、続柄四男」とそれぞれ記載されている。従つて、右受理証明書によつて証明される各出生届は、河木丘によつてなされた嫡出子出生届であると推認される。しかるに同人らと河宝玉との間には母子関係のないことが東京家庭裁判所の審判によつて確認されている。ところで、認知者、被認知者ともに日本人である場合は、嫡出子出生届に認知の効力を認め得るとする判例および取扱いであるが、認知者が外国人である場合において、直ちに右判例および取扱の適用があると解すべきではなく、外国人である河木丘のなした嫡出子出生届に、わが民法上の認知の効力を認めることはできない。してみれば、上記四名について、わが民法による認知は成立していないというほかはない。

なお、右四名につき、中華民国民法による認知もなされていない。

(三)  河丘宝については、同人の出生届受理証明書には「父河木丘、母河乙子、続柄長男」と記載されているから、右受理証明書で証明される出生届は、河木丘によつて嫡出子出生届としてなされたものであることが推認される。しかし母として記載された河乙子は河木丘の妻ではなく虚名であるから、右の嫡出子出生届は、本来受理さるべきでなく、受理されたとしても単なる出生届としての効力しか認められない。なお、河丘宝と山田乙子との間で母子関係のあることが、東京家庭裁判所の審判で確認されているが、わが国の戸籍簿上の登載がないから、わが民法による認知は成立しない。河丘宝は、日本国籍を取得せず、中華民国の国籍のみを有するままであつて、中華民国民法による認知もなされていない。

(四)  甲野花子および甲野次子は、昭和二一年八月二六日に中華民国福建省の河木丘によつてともに認知されている。しかし、わが国の戸籍による甲野花子の生年月日は、昭和八年一一月六日であるのに外国人登録証明書による河愛宝の生年月日は一九三三年六月六日と異つており、甲野花子と河愛宝が同一人であることは証明されていない。従つて河愛宝について河木丘による認知があつたと即断することはできない。また、甲野次子については、生年月日についてはわが戸籍簿上の記載と河次子の外国人登録証明書の記載と一致するが、わが国の戸籍簿の記載によれば、父、中華民国福建省候県河木丘とあるのに、河次子の外国人登録証明書の記載によれば、その本国における住所は、台湾省高雄県岡山鎮前峰路となつている。ところで河次子の右外国人登録証明書中の「上陸した出入国港および上陸許可年月日」「在留資格および在留期間」は空白であるから、河次子の外国人登録は、出生届に基づいてなされたことが明らかであるところ、右証明書による河次子の本国における住所は前記のとおり中華民国福建省ではなく台湾省であるから、河木丘と河次子とは、本国における住所を全く異にしているのであり、右外国人登録証明書にある河次子につき河木丘の認知があるとすることはできない。

四、中華民国民法は遺産の相続につき次のとおり規定している。

中華民国民法第一一五一条(訳文)

「継承人が数人あるときは、遺産分割前にありては、各継承人は遺産全部に対して公同共有をなす。」

同法第一一五二条(訳文)

「前条の公同共有の遺産は継承人中より一人を互選してこれを管理せしむることを得。」

ところで、被控訴人らは公同共有(合有)の遣産の管理人を互選している。このような場合、本件訴訟は右管理人によつて提起さるべきであり、そうでない本件訴は却下さるべきである。

五、わが民法第四二八条は、中華民国民法第八二八条第二項の公同共有について類推適用することができない。けだし、わが民法四二八条は、不可分債権について、多数の債権者の誰でも、単独に、自分に給付すべきことを請求することができるとしているのに対し、中華民国民法第八二八条第二項は、公同共有者は、公同共有物の処分その他の権利行使について、公同共有者全体の同意を得ることを要すとしているからである。従つて、公同共有者全体の同意を得ることなく、被控訴人ら各自に対し金二〇〇万円全額を支払うよう求めた本訴請求は失当である。

(被控訴人の陳述)

一、控訴人の右法律上の主張すべて争う。

二、控訴人は、河次子の外国人登録証明書中の「本国における住所」が河木丘の外国人登録証明書中の「本国における住所」と一致しないというが、次子は、出生後一たん台湾にわたり、後に日本へ再入国している。従つて、同人の外国人登録証明書中の「本国における住所」は、同人が日本に再入国したときに、同人の旅券に記載されたもの(外国人登録法施行規則第三条第一項)である。控訴人の右指摘は、次子が木丘の子であることを否定する直接の根拠とはなしえない。

証拠<略>

理由

一当裁判所の判断は、次に記載するほかは、原審の判断と同一であるから、原判決の理由の記載(但し、原判決八枚目裏三行目から五行目までの括孤内および九枚目表六行目から末行までを除き、別紙裏河丘宝、河仙子の各下段に「第一七号証」とあるのをいずれも「第一八号証」と訂正する。)をここに引用する。当審において取調べられた証拠によつても、右判断を左右するに足りない。

(一)  控訴人は、当審において、本訴の被控訴人らの当事者適格の有無は裁判所が職権によつて明確にすべきであつて、控訴人の主張、立証をまつてその不適法を判断すべきではないと主張する。しかし、当事者適格の有無は、職権探知事項ではなく、職権調査事項に属するものと解すべきであるから、その判断は当事者の弁論に現われた主張・立証により心証を得れば、それで足りるものである。そして、原判決のこの点に関する判断は相当であつて所論は理由がない。

(二)  控訴人は、中華民国戸籍法では、認知は登記をしなければ効力を生じないとしているところ、本件で河木丘は、被控訴人河宝玉を除くその余の被控訴人らに対して右の手続による認知をしていないから、同人らは河木丘の子ではないと主張する。しかし、日本法も中華民国法も任意認知を認めており、認知の届出ないし登記は、任意認知の方式に属するところ、河木丘が、その子らに対する認知の手続を、すべてわが国内で行なつたことは、弁論の全趣旨より明らかであるから、法例第八条第二項の規定により、その方式はわが国の法律によるべきであり、これをもつて足りると解すべきである。よつて、本件各認知の方式が中華民国の法律によつて行なわれなければならないとする控訴人の主張は失当である。

(三)  次に控訴人は、河木丘がしたわが国における本件各認知の届出は無効であり、また出生届に認知としての効力を認めることができないと主張するので、順次その主張の当否について判断する。

(イ)  被控訴人河仙子および被控訴人河こと山田甲子について、

控訴人は右両名に対する河木丘のした出生届は、単なる出生届としての効力を有するに止まると主張する。しかし、<証拠>によれば、右両名は河木丘と山田乙子との間に生れた子であつて、河木丘との間に事実上の父子関係が認められるところ、<証拠>によれば、河木丘は自らを同人らの父としてその出生届をし、受理されていることが明らかである。右は戸籍法第六〇条所定の認知届ではないが、事実上の父である河木丘が戸籍事務管掌者に対し自分の子であることを承認し、その旨申告して受理されたのであるから、これに認知の効力を認むべきであり、そうだとすればこれもまた任意認知の一つの方式と理解することが相当である。よつて法例第八条第二項により中華民国民法上の任意認知として有効である。

(ロ)  被控訴人山田丙子、同山田丁雄、同小川一郎、同小川二郎について、

控訴人は、外国人である河木丘のなしたこれらの者に対する嫡出子出生届(甲第一四、第一五、第八、第九号証)には、わが民法上の認知の効力を認めることができないと主張するが、<証拠>によれば、被控訴人山田丙子および同山田丁雄は河木丘と山田乙子との間に生れた子であり、<証拠>によれば、被控訴人小川一郎および同小川二郎は河木丘と小川勝子との間に生れた子であつて、いずれも河木丘との間に事実上の父子関係が存在することが認められるので、前項に述べたところと同様任意認知として有効である。

(ハ)  被控訴人河丘宝について、

控訴人は、被控訴人河丘宝の出生届には、父河木丘、母河乙子と記載されているが、河乙子なる者は河木丘の妻ではなく、架空名であるから、右出生届による認知の効力はないと主張するが、<証拠>により、被控訴人河丘宝が河木丘と山田乙子との間に生れた子であつて、河木丘との間に事実上の父子関係が認められる以上母が架空名義であつたとしても、このことは、届出人である父のした出生届に認知としての効力を認めるについて影響がないものと解すべきである。また、控訴人は、河丘宝と山田乙子との母子の関係については、なんら戸籍上の記載がないから認知は無効であるというが、本件で問題なのは、山田乙子と河丘宝との間の認知の有無ではなく、河木丘と河丘宝との間の認知の有無なのであるから、右主張は当を得ない。さらに、河丘宝は現在日本の国籍を有していないが、このことは、河木丘の前記出生届を、法例第八条第二項の規定に則つて認知の届出と認めるにつきなんら妨げとならない。よつて所論はいずれも理由がない。

(ニ)  被控訴人河愛齢(旧甲野花子)、同木村次子(旧甲野次子)について、

控訴人は、被控訴人河愛宝については、その戸籍の記載と外国人登録証明書の記載とでは、生年月日が異なること、また被控訴人木村次子については同人の戸籍に記載してある河木丘の本国の住所と、次子の外国人登録証明書に記載してある次子自身の本国における住所とが異なることを指摘して認知の効力を争うのでこの点を判断する。

<証拠>によれば、河愛宝の生年月日は、戸籍簿では、昭和八年一一月六日となつているが外国人登録証明書には一九三三年(昭和八年)六月六日となつていることが認められるが、<証拠>によれば、同人の生年月日は昭和八年一一月六日が正しいものであり、外国人登録原票の記載は、河木丘が誤つて届出たものであること、昭和四九年八月一三日に右登録原票の記載も正しい日付(一九三三年一一月六日)と訂正されたことが認められる、また、被控訴人木村次子に関しては、<証拠>によれば、同人の戸籍簿に記載してある認知者河木丘の本国の住所は福建省であるのに対し、外国人登録証明書中の次子の本国における住所は台湾省となつており、一致しないが、当審における被控訴人木村次子本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、同人の外国人登録証明書中の本国における住所の記載は、同人が台湾に留学していた当時の住所であつて、再入国の際に記入したものと認められるので、河木丘の本国における住所との不一致は、認知の判定につきなんら妨げとならないことが明らかである。

(四)  次に控訴人は、本件訴訟は被控訴人らが選任した管理人によつてのみ提起さるべきものであつて、被控訴人らによる訴の提起は不適法であると主張する。しかし被控訴人らが有効に管理人を選任した事実は、これを認めるに足りる証拠がない(乙第一号証の記載によれば、恰も河愛宝が遺産管理人に選任されたごとくであるが、右は相続人全員の互選によるものではないと認められるから無効である)。のみならず、かりに管理人が選任されていたとしても、相続人全員が直接訴を提起することは、なんら妨げないと解すべきであるから、所論は採用することができない。

(五)  控訴人は、最後に、中華民国民法第八二八条第二項は、公同共有者は、公同共有物の処分その他の権利行使について、公同共有者全体の同意を要するところ、この同意を得ることなく、被控訴人ら各自に対し金二〇〇万円全額の支払を求める本訴請求は失当であると主張する。しかし、原判決でも説示しているとおり、本件では相続人全員が原告として訴を提起し、各自への支払を求めているものと解するのが相当であるから、控訴人の主張する同意は、各原告同志の間に存在するものと推定すべきである。従つてこの点についての控訴人の主張も失当である。

二以上のとおりであるから、被控訴人らの本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当で本件控訴は理由がない。よつて本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法第九五条、第八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(室伏壮一郎 小木曾競 横山長)

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